リディキュール


監督 パトリス・ルコント
キャスト シャルル・ベルラン、ジャン・ロシュフォール、ファニー・アルダン、ベルナール・ジロドー
1996年 フランス

あらすじ 18世紀末のフランスでは、洗練されたエスプリこそ最重要だった!? 名もなき田舎青年が王との謁見を目指しエスプリ教育に精を出す。

評価 ★★★★★

 おっぱいが気になって気になって。
おっぱい

 中世フランスの宮廷という、いまいち日本人には馴染みのない世界が舞台。エスプリ(皮肉めいたジョークみたいなもんか?)に長けてさえいれば、国王に謁見できたり、他の貴族からの評価が上がったりと、どこまで史実通りなのか西洋史に疎いオイラにはさっぱり。
 日本でも平安時代に貴族が遊び呆けてたわけだが、ああいうのを想像すると近いのかなぁ。するとエスプリってのは歌遊びや蹴鞠みたいなもんか。分かるような分からないような。

 このエスプリが貴族にとって非常に重要。エスプリさえあれば国王に謁見できる。逆に無ければ散々。他の貴族に徹底的にバカにされて、弱い人は自殺なんてしちゃう。ヨーロッパは罪の文化で、日本は恥の文化なんてことを言うけれど、公衆の面前でエスプリが無いのを罵倒されて死んじゃうなんて明らかに「恥」によるものだと思うだが、フランス人も案外「恥」を重要視してるのだろうか。
 この映画のエスプリを聞いてると、大概が他人に恥をかかせるのが目的のように思えてしまう。自分が恥をかかないために、エスプリで相手をぶちのめす、そんな感じだろうか。だとするとろくな人間じゃないな。
 革命が起きると祖国を捨てて海外へ逃亡して、エスプリという遺物に取りすがることしかできないのがこの映画での貴族なので、ろくでもない人間というのは非常に納得できるが。

 「リディキュール」フランス語で滑稽を意味する。それはエスプリの中身が滑稽だという意味もあれば、貴族の生き様が滑稽だという意味でもある。領民のことを無視して晩餐会に耽ったり、すこしでも地位を高くするために、エスプリに長けた男性と関係を持とうとする女性。
 沼地を干拓したいという、滑稽ではない主人公も、次第に宮廷の色に染まっていく。
 干拓のために、エスプリを使い愛する女性を捨てて国王との謁見のために別の女性と結ばれる。それは、宮廷を毛嫌いしている医者の娘と比べると非常に滑稽である。医者の娘は、科学の研究のために、愛を捨てて金持ちの年寄り貴族へ嫁ごうとするが、最終的にはそうした滑稽な行いを改めて愛に生きようとしたのだ。

 だが主人公もやがては自身の滑稽さを忌み嫌うようになる。メンツのためだけに決闘を行ったこと。これが、転機となる。命をかけたなんの意味のない戦いに主人公は虚しさを覚えて、今まで結ばれていた打算のための恋人関係を破棄し、真に愛している女性と結ばれる。
 しかし、それでも主人公は吹っ切れることができない。医者の娘の研究。潜水服で湖に潜ったとき、研究の成功に喜び笑った。だが、その笑いは潜水服のマスク越しだった。
 歯を見せる笑いは下品。
 そうした貴族の滑稽なマナーにまだ縛られていたのだ。主人公の笑い方は明らかに歯を見せる笑いだった。だからこそ愛する女性にも潜水服のマスクを取ることはできなかった。まだ、他人に自分の貴族のマナーを守らない素顔を見せることに躊躇ったのだ。

 その後のシーンは仮面舞踏会。誰も素顔を晒さない。この仮面こそが貴族の滑稽を象徴している。
 全員が素顔を隠す。ひとりを蹴飛ばしてこけたところをエスプリで罵倒する。その罵倒が最高のエスプリだと貴族達は賞賛する。
 この滑稽な姿に主人公は吹っ切れたのだ。笑顔すらも潜水マスクで隠していた彼が、その場で仮面を剥がし素顔を見せた。貴族から脱却した瞬間だ。
 主人公が胸の内を吐露しても、音楽がはじまれば他の貴族達は、何事もなかったかのように踊り出す。そこを仮面を外して立ち去る主人公と恋人。そしてショックを受ける元恋人。

 ridicule


 エスプリ。滑稽。いったい誰が最も滑稽だったのか。
 貴族が必ずしも滑稽であるとはいえない。仮面をかぶっていなければいけない場所で脱いだ主人公が滑稽なのかもしれない。
 他にも、ろうあの男。この男の父は自分の家にいたほうが幸せになると信じていたが、結局施設に預けられた方が、手話を覚え才能を発揮し、幸せになった。施設に預けたくないと思っていた父やその娘は滑稽であったではないか。
 気にくわないエスプリにヘソを曲げる国王も、沼地の水を飲んで病気になる子供も、何もかもが滑稽であったかのように思える。

 しかし、何度見てもエスプリとユーモアの違いが分からん。

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